輝く神秘を求めて――柳宗悦『神について』(全3回)
若松と大瀧の対話


※10分間の書き起こしです。話し言葉、表記の不統一などの不備もございますが、談話そのままの雰囲気といたしまして、お読みいただけましたら幸いです。

 

◎柳さんの『神について』は、どういう内容ですか?

柳宗悦はみなさん、民藝、民藝運動の指導者、というご記憶なんじゃないかと思うんです。柳さんは1910年代の大正期までは、宗教哲学者として活躍するんです。哲学はたとえば、いま目の前にコップがある。このコップはどういうふうに存在してるのか、そういうことすら哲学だ、って言ったのはサルトルという人なんですが、そういうこともあるし、身体とは何か、みたいなことも哲学としては考えられると。
でも、宗教哲学は、すなわち神と人間との関係というのはどういうふうになっているのか、あるいは人生の究極の目的というのは何なのか、というようなことを問うものだと思うんですね。宗教学とは違うんですよ。
宗教学ってとてもむずかしい学問で、難解という意味じゃなくなかなか困難な学問で、宗教とは概説するとこうなります、みたいな、そういうものが宗教学じゃないですか。宗教哲学は、信ずることと生きることがどういうふうに関係あるのか、ってことを極めていこうとする、とっても豊かなものだと思うんですけど、柳さんはそこで大活躍するんですよ。


◎民藝運動の前ですか?

前です。柳さんは民藝運動の中で『美の法門』って本を書くんですね。美しいものによって人は救われるのか、「法門」は救いの道ということだから、柳さんとしては自分は宗教哲学者として出発しただけじゃなくて、民藝運動も宗教哲学者としてやってるんだっていうわけ。でも多くの人は、宗教哲学のときの柳と、民藝運動の柳と、わけちゃうんですよ。
そこをほんとうにつないでいくことが、柳宗悦理解の上で、極めて重要なんです。

◎それがこの本なんですか?

この本はその中でもとても重要で、なんでみなさんと読みたいと思ってるかというと、平易だからなんですよ。

◎タイトルもシンプルだから、どういう内容なのかがちょっと想像しにくいんですよね。

手紙なんですよ、書簡体。手紙だから、まずですます調で書かれてることが多いし、相手に呼びかけるように書かれてるんですよね。


◎それは特定の誰かがいるんですか?

僕もそういう作品がありますけども、手紙の形式で、未知なる、あるいは自分の中にいる不可視な読者みたいな人に、呼びかけるような形で書いてるんですね。そうじゃないと、むずかしく書いちゃう場合もありますでしょ。
この本は、柳さんの一番大事なところを、平易に読んでいただける本だと思うんです


◎神についていろんな人が語っていると思うんですけど、柳さんの神についての考え方の特徴は、どういうことですか?

いいご質問ですね。井筒俊彦っていう僕が好きな哲学者いますよね、柳さんは、あの人の先駆者なんですよ。本当の意味での東洋的霊性っていうのは、どういう可能性があるのか、広く深く学んだ人なんです。だから仏教もキリスト教神秘主義も、孔子も老子も、いろんなものの言葉を駆使しながら、神とは何か、超越とは何かってことを、とっても平易な言葉で語ってくれてます。

◎東洋における神について、っていうことなんですか?

今僕が言った東洋というのは地理的な東洋ではなくて、「神といえば人格神だ」みたいなことが西洋的な神だとすると、マイスター・エックハルトという中世ドイツの人がいるんですけど、語ってることはとても東洋的、いわゆる姿なき神っていうことをちゃんと捉えられる人なんです。そういう意味を含めて東洋的っていうことですね。


◎東洋的っていうのは姿なき神っていうことなんですね。

そうそう。ひげをはやしている人格神、みたいなことではなくて、姿なき神っていうものまで神の姿を追い求めていこうとするのは、とても東洋的なんだと思います。西洋的なものは入り口に過ぎないということです、柳さんにしてみれば。
その姿なき神のところまで高めていくという論議なんだけども、とっても平易に書かれている、あるいは開かれた形で書かれている。

◎私自身っていうものと、今のお話との、結びつきがちょっとわかりづらい気がします。

『神について』は、神はこういうふうに言われてますよ、っていうことが書かれているのではなくて、あなたの横にいる神、そういう態度で柳さんが呼びかけてくるわけです。あなたのそばに、あなたが今日生きてる神は、こういう姿をしている、こういう姿をというよりこういう姿も、っていった方がいいですね。
一つの姿ではなくて、あなたがこういうのが神だって決めている、それもとっても西洋的な考え方なんだ、と。神というのはこうだ、そこから外れてしまったらもう違う、みたいな。そうじゃない。いろんな姿をして、ときに思いもよらない姿をしてあなたのそばにいる、というようなことを、柳さんが淡々と語ってくれてる。
この本を読むと、なんだ、われわれは神を知らなかったんじゃないんだと、われわれは神を特定の姿に縛りつけてたんだ、ということがわかってくる。そういう感じですね。

◎神とか神さまって、ある意味永遠の謎というか、捉えきれるものではないけれども、でももう一度捉え直すというか、考え直すというか、そういうふうに世界を広げてくれるような本ということですね。

われわれが言葉で、あるいは概念で、狭いふうに捉えてしまうと、神そのものが捉えにくくなる。もっと人間とのつながりの中で、神をはたらきとして捉えてみたり、神というものをいわゆる言葉の世界から違うところで認識してみたり、というようなことを柳さんがとても強く促してくれる。


◎日本人である私たちにとっては、わりとすんなり入ってきやすいような感じなんですか?

もちろん入ってきやすいし、僕はなんでこの本が今読まれていないのか不思議なぐらいなんです。とってもいい本だから。柳さんは本当に、民藝運動で大きなお仕事をなさったから、民藝に比べるとマイナーだっていう言い方もできるんだけど、本当に心ある人によって読み継がれてきた本でもあるんですよ。
今ここでみなさんと読んで、思いを深めてみたいなって、僕はとても強く思いますね。

◎1910年代に書かれてるんですか。100年以上前。

100年以上前。ぜんぜん古くない。そして100年間経ってみて、柳さんと同じことを言い得た人はほとんどいないというのが、現実ですね。

◎そんなにすごいんですね。若松さんもかなり影響を受けてますよね。

柳さんの評伝を、今まだ本にしている最中だけど、4年間かな、評伝を書いてましたからね。柳さんは、もっとも影響を受けたうちの一人だと思いますね。

◎神っていう点でもそうですか? カトリックのクリスチャンということと、東洋的な神の捉え方みたいなところ。

それが相矛盾しないってことも教えてもらったような気がするし、柳さんの言葉が、書いてあることも素晴らしいんだけど、なんといっても響きがいいんですよ。いってることがいいと響きもいいし、いってることが言葉だけだと、響きはないですよね。そういうことも、柳さんのこの本から、とくに書簡体ですから、味わっていただけるんじゃないかなと思うんですね。

◎今、宗教がむずかしい時代とも感じられるけれども、特定の宗教を持つ持たない、ということとぜんぜん違う次元で、この本と付き合えるっていう感じですね。

今の言葉を引き受けるとすると、この本は、本当の意味での、宗教入門ですね。
どういうことかというと、宗教入門というのは、特定の宗派に偏ることなく、彼方の世界と人間との関係というものを、語れないといけないじゃないですか。


◎本来はね。

たとえばキリスト教入門、仏教入門という本は多いけれど、宗教入門と呼べる本は、本当に少ないんですよ。そういう意味で、本当に宗教入門といえる。もう100年経ちましたので、古典ですね、もうね。


◎逆に、特定の信仰を持ってる人にとっても、また新たなことですね。

そう。自分たちの信仰を持ってるのは素晴らしいことなんだけども、信仰を持ってるがゆえに、見えなくなっちゃうことってあると思うんですよ。やっぱりあると思うんです。そういうことに柳さんが気づかせてくれる。
信仰を持つということは、誰かと対話を終えるのではなくて、もっと対話を強く促されているんだっていうことも、柳さんの本から学べるんじゃないかと思うんです。

◎なんかいいですね、自由な感じが。

そうなんですよ。そうそう、さすが。この本の中でとても大事なテーマが、自由なんです。自由であることがとても重要だってことを、柳さんが教えてくれる。対話なき宗教は、不自由じゃないですか。対話を拒んでたりとか。そういうものも含めて、何か、とても現実的であり、現代的であり、今日的ですよね。


輝く神秘を求めて――柳宗悦『神について』(全3回)
■第1回 2022年11月30日(水)19:20-21:00
・書くワーク(課題)付き 6,050円5,445円(税込)お申込み
・書くワークなし お申込み

■第2回 2022年12月14日(水)19:20-21:00
・書くワーク(課題)付き お申込み
・書くワークなし お申込み

■第3回(最終回) 2022年12月28日(水)19:20-21:00
・書くワーク(課題)付き お申込み
・書くワークなし お申込み






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