講座「はたらくための哲学 言葉とコトバ」 ご案内音声書き起こし


※15分間の書き起こしです。話し言葉、表記の不統一などの不備もございますが、談話そのままの雰囲気といたしまして、お読みいただけましたら幸いです。

 

◎働くための哲学っていう、ちょっと文学系とは違う講座を始めて、今2回目ですね。全体的に内容はどういう感じなんでしょう。

われわれが働いてる現場には、漢字の「言葉」がありますよね。ビジネスレターに書かれる言葉もそうだし、たとえば会議の言葉なんて、本当に「言葉」なんだと思うんですよ。みんなに同じようにわかる。
だけども仕事の現場は、みんなにわかるような言葉じゃなくて、あうんの呼吸でつながっていたりします。雰囲気があったり歴史があったり、あるいはお客様とのつながりとか、働いてる者同士のつながりとか。これを「コトバ」といっています。
この両方ともを読み取っていかないと、何かとても大きな過ちを犯す可能性があるんだと思うんですよ。


◎漢字の「言葉」は、ふだん私たちが言葉って呼んでるようなものですよね。

そう、いわゆる言語。あるいは声になるようなもの。で、たとえば今、声で話してますけど、たとえば私がちょっと沈んだように話すと、響きが濁りますよね。われわれはその漢字の「言葉」をくみ取ってるだけじゃなくて、その人の奥にある響きみたいなものも同時にくみ取ってるじゃないですか。
あるいはいま、私は一定のリズムで話してるわけですけど、もっと早く話すこともできますよね。そうすると何か、間がないな、みたいな。間が、コトバになってもいる。今これは音声だけですけど、もし目の前に座ってくださっていたら、私の表情もコトバになる。
そういうふうに漢字の「言葉」とカタカナの「コトバ」は、分かちがたくこの世に存在していて、じつは「言葉」が「コトバ」に包まれて存在しているんですね。多くの人は「言葉」の中に「コトバ」がある、何か人間の体の中に心があるみたいに思う。でも実際は、心みたいなものが体を包んでるっぽいじゃないですか。現実の生活を振り返ってみると、ね。
たとえば人間がいろんなものを、体の前に、雰囲気を感じたりしてるじゃないですか、気配とか。実際シュタイナーって人がそう言ってるわけです、われわれの心がわれわれを包んでるんだ、そう思った方がいいんだって。マイスター・エックハルトも同じこと言ってますね。だからわれわれの体の中に、もの的に存在しているというよりも、見えないかたちでわれわれを包んでいる。それは漢字の「言葉」とカタカナの「コトバ」も同じなんですよ。
「言葉」だけを理解するのはやっぱり難しくて、「コトバ」を理解すると、中に「言葉」があるということですよね。だから「コトバ」をちゃんと包み込んでいると、「言葉」を理解するのは簡単なんだけども、漢字の「言葉」だけしか見ていないとカタカナの「コトバ」の存在に気がつかないことがあるんだと思うんです。とっても多いと思うんですよ。

◎いわゆる情報みたいなものは漢字の「言葉」だけ、という感じなわけですよね。

まさにその通りです。だからインターネットなんかでニュースを見ると、本当のことが書いてあるんだけど、何かが決定的に足りないとか、足りないがゆえに歪んでいるとか。現実の都合のいい面を切り取っただけとか、不十分の切り取り方をされてるというふうに思うこともありますよね。
仕事上で、そういうことでも回っていくこともあるんだけども、それが致命的なことになる場合もあるんだと思うんですよ。そういうことが、われわれの働く現場でちょっとでも少なくなるように、漢字の「言葉」とカタカナの「コトバ」っていうのが両方使えた方がいいと思います。


◎それが一番大きなテーマなんですか、今回の講座の。

そうですね、まずそれが二つあるっていうことをわれわれが深く理解していく。じゃあ、それをどう読み解いたらいいのかってことがもちろん気になるじゃないですか。もちろん気になるし、それがないと意味がないと思うんですけど。
それを、皆さんご存知だと思うんですけど二宮金次郎。大人になってから二宮尊徳っていう名前が変わるんですけど、彼が語った言葉が本になっているんですよ。彼は忙しい人だったから、自分で本なんかほとんど書いてない。でも彼が語った言葉が弟子によって書き写されて、今日まで伝わってるんですね。それが、二宮尊徳の論語みたいなもんなんですよ。論語って、孔子先生の言葉を弟子が書いてるじゃないですか。それと同じです。それがとってもその「言葉」と「コトバ」の関係ってものを絶妙に書いてくれているんですね。
もちろん今読んでいるのは現代語訳です。難しい江戸時代の言葉で読む必要はないので、現代語訳を読みながら、われわれはこんな場面でこういうふうに言葉とコトバを感じ分けられていくし、分けられていくと、尊徳が言うようにこういう変化が起こりますよね、っていうことを、皆さんと考え直していると、いう感じです。


◎なんか二宮尊徳っていうと、勤勉っていうイメージ?
銅像みたいなのが小学校にあったりとかね、本読んでいるみたいな。それでその人を取り上げているんですか?

全然違うんですよ。とくに戦争のときに、厳しい時代があったじゃないですか。そういう厳しい時代にみんなで倹約してがんばろうみたいな、その時に尊徳のイメージがちょうど合致しちゃったんですよね。それで戦争中に尊徳が利用されたっていうところがあるんですけど、尊徳は江戸時代に亡くなってますから、近代の戦争なんか知らないんですよね。
そういうことからちょっと自由になって、本当に尊徳が目の前にいて直接ものを教えてもらってるって雰囲気だと、とってもよく読めると思うんです。
なぜ尊徳を選んだかっていうと、尊徳は、だめになった村、今で言うと会社ですよね、そのだめになりそうな会社を600、よみがえらせたって言われてるの。それは尊徳だけでやったわけじゃなくて、尊徳のお弟子さんももちろん手助けしてるんだけども、尊徳が見つけた方法があるわけ。
彼はその仕法……仕事の仕に法律の法、仕法って呼ぶんだけど、その仕法でやれば必ずよみがえるっていって、実際600の村がよみがえったわけ。だから村が今のわれわれの会社だと思うと、それぞれ仕事場って問題を抱えているじゃないですか。やっぱり、どんなにいい会社でも問題を抱えている。それをどうよみがえらせていくのかっていうときに、言葉とコトバがとても重要だったんです。


◎へえー、二宮尊徳ってそんな仕事人だったの。

仕事人。だから、忙しいから本なんて残してない。彼は言葉を残さなかったわけではなくて、今言った仕法、どうやったらよみがえらせられるかというその方法に関して、ものすごく詳しく書いている。でもそれは本なんかじゃない、全然。どこどこで何々がどのくらい取れて、来年はこうだろうだからこうするべきだっていう、一個一個の固有の事例に対して彼は本当に情熱を注いで書いてある。
だから思想書みたいな形で読むものではないんだけども、皆さんと読んでいくのはそういう細かい方ではなくて、彼が身につけた世界観みたいなものから、なるべく豊かなものを学びたいと思っているんですけどね。

◎若松さんここ二、三年とくに、企業の方向けの、幹部の方もいるし、新人研修みたいのもあるけれども、そういう講座を頼まれることがすごく多いじゃないですか。かなり有名な大企業からもう少し小さな集まりもあるけれども、そういう中でもやっぱり、言葉とコトバっていうのは割と大きなテーマとしてお話しされるんですか?

もちろん、言葉とコトバをずっと考えてきたというのが自分の、ものを書く人間の問題としてもあるんですけど、だんだん、だんだん、先方からそれを話してくださいっていうふうにお声がけいただくようになったんですよ。言葉とコトバの差について話してくれってふうにはオーダーは来ないんですけど、現場で言葉っていうものがとにかく問題だと、言葉っていうものがどうも通らないし、言葉が十分に働かない、どうしたらいいんでしょうっていう、そういう問いとして、私のところに発注が来るわけですよね。
それで打ち合わせをする中で、それはやっぱり言葉とコトバとに分けてみると、そこのつながりも見えてくるし、その接点も見えてくるので、かえって両方、世界が多層的になっているんだというようなことを相手にわかっていただくと、なるほど、となることが多いですね。

◎現場を動かすとか、仕事を前に進めるとか、みんなで価値観を共有するとか、ブランドを立ち上げるとか何でも、そういうのもやっぱりコトバですよね。

ブランドなんていうのは、非言語的じゃないですか。非言語的なものを言語でやろうなんてそんな馬鹿な話ないですよね。非言語的なものがなければ立ちゆかないのにわれわれはあたかも全部言葉で、いわゆる言語で、漢字の「言葉」で物事が成立しているかのように捉えがちなんですよ。嘘なんですよね、嘘っていうか、むしろその方が現実離れしているんですよ。
そのことを皆さんとちょっと話し合うととても理解していただけるし、体感していただけると思うんですよね。そういうふうにわれわれが頭で考えるのとは違う世界の中が本当の現実なんだってことに思い至ると、仕事の仕方が少し変わるっていうことですね。
だから現実じゃないものを言葉だけで塗りつぶしているってところがあるんだと思う。

◎ちょっと上っ面な感じになっちゃいますよね。でもその非言語的なものを最終的には言葉で共有するわけですよね。

いい質問ですね、その通り。言葉から始まってイメージにふれて、イメージをもう一回言語化すると、現れている言葉は、目には同じように見えるんだけどまったく違う働きをするっていうことですね。これも言葉のとっても不思議なはたらきで、ある人にとっては見た目は同じなんだけど、ある人にとってはもう本当に違うものに見えてくる。それはありますよね。

◎たとえばワンチームっていう言葉だって、前までは、ただの単語じゃないですか。だけど、やっぱりそれがラグビーとか、そういうところから皆さんで見てきて、感動して、みたいなところから、その言葉の持つ意味はぜんぜん違っちゃっていますよね。

そうそう、そうなってくるし、その結局、ワンチームという言葉を裏づけしてくれているのが日常であり、努力であり歴史であると。それはコトバですよね。コトバが言葉を裏打ちしてるわけですよ。その裏打ちされたものがあるかないかで、ぜんぜん違うんですよね。でもそれがあたかもないかのように暮らしていると、もったいないものを見過ごしているような気がするんですよ。
たとえば人の愛情とかね、そういうものだって本当はコトバで表現されていることがたくさんあるわけです。だけど口で何か言った、言った言わないみたいな、そういうことだって考えてみたら浅はかなことじゃないですか。だからコトバの世界にどう開かれていくかってことが、とても大事なように思うんですけどね。

◎企業で働いてる方とか、ご自身でビジネスやってる方とか、そういう方以外にもこの講座はおすすめできます?

そうですね。むしろというか、問題は働いてる現場で起こってるので、なんかちょっと違うんだよな、働く現場で今ひとつ風が通りにくいんだよな、って思ってらっしゃる方。あるいは、働くってことを必ずしも収入が入ってくるってことと結び付けずに、人とのつながりの中で、今言った風通しがよくないと感じてらっしゃる方が聞いていただけると、なにか得るところがあるんじゃないかと思っているんですけどね。

◎仕事の現場っていうだけじゃなくて、日常的な暮らしの中でっていうことでも、とても役に立つというか、ぜひ聞いていただきたいってことですね。

そうですね。何か発見があるんじゃないかなと思うんです、皆さんにね。


◎「読むと書く」っていうわたしたちの講座を始めさせていただいたときの、本当の最初の最初、もう10年近くなんですけど、その時も、言葉とコトバっていうところから始まってるいんですよね。

そうなんですよ。これが自分の人生において、言葉とコトバが大事だっていうのは言うまでもないんですよね。というのはたとえば、われわれの運命みたいなものって、言葉で語られることはほぼなくて、コトバでしかわれわれに表れてこない。
これははっきりしてるんですけど、じつは仕事も同じだっていうことが、もう何十年も働いてきて、振り返ってみるとそうだってことがわかって、それを今皆さんにいろんなところでお話しさせていただいてるっていう感じですね。


◎チャンスとか危機とか、そういうものも、ちょっとした風じゃないけど、言葉にされる前みたいなところをつかめると本当はいいのかな。

そうなんですよ、本当そうなんですよ。だから言葉以前のコトバとつながることで見えてくるものはたくさんあるし、そこの方がより確かに応答できるんですよね。そこら辺もまた皆さんとお話しできればなと思います。

◎そうですね、皆さん実際にはそうやって生きてらっしゃるから、それを意識して使ったり、何かこう、あるときは分けたり、でもそれが一緒になって、それは階層的にわかったりとかで、言葉の使い方も変わってくるし、相手の話を聞くときも、言葉ではこう言ってるんだけれどもこれは違うんだろうなとか、ぜんぜん変わってきますよね。

そうなんです。そこがやっぱり大事で、われわれはいつも言葉とコトバを同時に自然に用いているから、何らかの理由でその片方しか聞けなくなってきたときに、ちょっと注意が必要なんですよね。そこはやっぱり、開かれているといいなってふうに思います。

◎はい。ぜひたくさんの方にご参加いただきたいですね。



■「はたらくための哲学 言葉とコトバ」
第3回(最終回) 2022年12月17日(土)19:20-21:00
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