NEW!2021-01-08

新年におもうこと

 新年あけましておめでとうございます。旧年中は多くの皆さまに支えられ、コロナ禍でもなんとか営業を続けることが出来ました。講座に参加くださった皆さま、音声講座や声のメルマガなどをご購入頂きお聞きくださった皆さま、若松さんはじめ講師をお引き受けくださった先生方、講座の進行や準備のサポートをしてくださった皆さまにも、こころより感謝申し上げます。
コロナ収束にはまだまだ時間が掛かりそうな状況ですが、今年一年も、どういう状況にあってもなんとかやっていこうという柔軟さ、受け身的でありながら積極的に変化していく心構えが大切と考えています。

 新年の目標、ではないですが、今年はDoingとBeing、「すること」と「あること」をさらに意識して事業を行っていきたいと思いました。これらの言葉は若松さんから教えて頂いたのですが、ふっと、それは人間存在に限らず、動植物や‘モノ’などにも言えることなのではないか、という考えが浮かびました。例えば花は私たちが家に飾って生活に彩りを加えたり、大切な人に愛情を伝えるために贈ったり、そのようにも使われますが、人間にとって役に立つということがなくても、野や道ばたに咲いている花はそこにあるだけで美しく、特別な存在で、周囲と調和しながら小さな「世界」を作り出している、あるいはその世界のかけがえのない一部となっています。ときにはその存在が私たちに何か大事なメッセージを伝えてくれることもあります。

 さらには会社(法人)という存在を考えたとき、やはり同様のことが言えるのではないか、何をするかを考えるだけでなく、どういう存在であるのか。どういう世界を作り出せるのか、一部となれるのか、と考えました。提供するコンテンツやサービスを磨いていくことは当然必要なことですが、同時に皆さんにとってどんな存在でありうるのか。それもまた大切な視点なのではないかと・・・。
本物であること、嘘がないこと、言葉とコトバ(意味)によって皆さんが癒やしや励ましや生きがいをご自身で見つけていくお手伝いをすること。そんな活動をこれからも継続し、必要なときに皆さんがいつでもアクセスできる、信頼できる存在でいつづけること。そうありたいなと心から願います。

  社内においても、スタッフやその家族にとって、会社はどんな存在でありうるのか。昨年は当社のスタッフにもいろいろな変化がありました。ご家族の体調が悪く、地方の実家に戻ってリモートワークを続けているスタッフもいます。変化の多いコロナ禍でも、皆が支え合って、気遣っていくなかで会社としての包容力が高まり、一段強くなったようにも感じます。働く皆が会社に属することで歓びや小さな誇りを感じられるといいな、と思っています。
一人一人の人間と同じように、法人としても、より自分たちらしい存在になっていくこと、そんなことを大切にしながら今年一年を過ごして参りたく存じます。

  本年もお付き合いのほど、どうぞよろしくお願い致します。


大瀧純子



 


2020-12-11

美に貫かれた人

 まだ完成はしていませんが、先週から『語りかける花』の音声講座を収録しています。志村ふくみさんのご著書ですが、若松さんはふくみ先生のご本のなかで一番好きなのだそうです。『一色一生』が代表作として知られていますが、もしまだお読みでないかたであれば、まずはこちらを読むことをおすすめすると言っていました。

 ふくみ“先生”と書きましたが、私にとっては染織の師匠でもあります。もう7,8年前になるでしょうか。アルスシムラという染織・芸術学校を先生とご家族が開かれた年、その予科第1期生として4ヶ月ほど京都で学ばせて頂きました。若松さんとふくみ先生のご縁はそれ以前に始まっていて、あるとき若松さんが一枚の、それは美しいパンフレットを見せてくれたのがきっかけです。植物で染められた、きらきらと輝く何色もの糸にこころを奪われました。とはいえ、手先が不器用で手仕事とは無縁だった私がなぜ京都にまで通う決意をしたのかは、いまでも不思議に思います。ただそこに導かれた、美の世界に招き入れられた…のかもしれません。

  ふくみ先生との思い出はたくさんあります。アルスシムラに通い出して初めて染色を体験したとき、植物を煮出した熱い液体に絹糸を何度もつけて色を移していくのですが、その色をみて、ふくみ先生が「まあっ」と声をあげられました。失礼ながら、まるで小さな子供のように、はしゃいでいらっしゃいます。「すごいわー」「見て、この色!」と驚かれているご様子。初めて体験する私たちよりもずっと感動されているのです。何千回も染色をされてきたはずなのに、そのたびごとに、初めて出会ったという新鮮な喜びにあふれている。
「美に貫かれた人」、そんな言葉が頭をよぎりました。

 若松さんと一緒に嵯峨野にあるご自宅兼工房に伺って、いろんなお話しをして頂いたり、素敵なノートを見せてくださったりしたことがありました。皇居内に生育する植物を何十種も色鉛筆でスケッチされていたり(それは実際に現地でご覧になったのかは忘れてしまいましたが)、水彩画も描かれたりしていました。その横には詩や短歌が添えられていることもありました。ノート自体も普通のものではなく、とても雰囲気のある特別なものでした。私たちが拝見したのは数冊でしたが、何十冊もいままで描きためられているとのこと。誰に見せるためでなく、ご自身の楽しみとしてされているのですが、それがあまりにも素敵で、今でも忘れられません。

  アルスシムラの運営についてなどでご相談に乗らせていただくこともあって、そういうときには、帰りに近くの割烹に連れて行ってくださることもありました。娘の洋子さんもご一緒に4人でカウンターに並んでいただくのですが、ふくみ先生は鮎がお好きで、毎回頼んでいらっしゃいました。あるとき、他の3人が骨をよけながら少しずつ身をはがして頂いているうちに、ふくみ先生は頭から尻尾まで骨も含めてすべて食べられていたことがありました。稚鮎ではなく立派なものでしたので、私たちは驚きました。80代も半ばのご年齢でしたが、出されたものをすべて残すことなく召し上がっていて、その生命力といいますか、たくましさというものも感じさせて頂きました。この方はこんな風にお一人で子育てもして、お仕事もして、弟子を育て、たくさんの作品を生み出して来られたんだなあ、と妙に納得したところがありました。
ただその強さは堅さにつながるのではなく、しなやかに、ときに愛らしくもうつるのです。私の大好きなふくみ先生の一面でもあります。(恥ずかしいからそんな話はしないで、と叱られてしまうかもしれませんが…笑)

 まだまだ素敵なエピソードがありますが、それはまた次の機会に…。


大瀧純子



 


2020-11-27

美の経験

 先日、東山魁夷の『風景との対話』という本の音声講座を収録しました。いつものように若松さんが本の中から何ヶ所か文章を抜きだしてレジュメを作り、それを私が読み手となって、若松さんが解説を加えていく、という流れで進めていきました。

  タイトルからすると、のどかで、穏やかな心模様が描かれているようなイメージがしましたが、実際にはときに静かに、ときに熱く心の奥底にある烈しい思いを吐露するようなところも多くあり、次第に引き込まれていきました。
あるパートを音読していたときです。途中に出てくる漢字が難しくて、その読み方が気になりつつ、ゆっくりと読み進めていたのですが、あと少しというところで急に涙があふれてしまいました。
 告白とも呼べるような文章ではありましたが、そこまで感動的な内容が書かれているわけではありませんでした。また、音読している最中には、内容や意味を読み込む余裕はなく、ある意味、無防備な状態でした。そこで自分が泣くなどとは思いもよりませんでした。


 読み終わると同時に、そのひとつのパラグラフは額縁のようなものに取り囲まれ、一枚の絵のようになりました。書かれている文字としての言葉は消えてしまい、一瞬の閃光で裏と表がひっくり返ったかのように、別のものがそこに現れるのです。言葉でうまく表現できないのがなんとももどかしいのですが、この経験が何かはハッキリと分かるのです。それは「美」の経験に他なりません。
 文章を再読することは出来ませんでした。なぜなら、その「美」は一度だけの経験で、もう一度読み直したら、頭を働かせてしまったら、きっと消えてしまう感覚だと分かっていたからです。


  初めて同様の経験をしたのは、ある絵を見たときでした。そのときから、美術館などに行くと、1枚か2枚、ときにはもっと多くの絵で、そのような感覚を得たのです。自分で何かを思うよりも早く、涙が頬を伝っています。
 例えば、ある画家の川に掛かる橋の絵をみたとき、その絵が目に入った瞬間、それは起こりました。目の焦点があう前にハッとしたようにも感じました。華やかさや感動とは無縁に思える絵で、タイトルも知らぬままです。けれども私のなかにある何かと響き合ったことは間違いありません。それがなんであるのか知りたいけれど、知らなくてもいいようにも思います。


  『風景との対話』のなかで東山魁夷は風景を描くのではない、その奥にある、象徴を描くのだといっていました。象徴とは意味、それも単なる辞書的な意味ではなくて、その言葉や文章、風景や人物がもつ(あるいは属する)‘世界’。その世界に引き込まれ、一瞬その世界の住人となる・・・それが私にとっての美の経験といえるのかもしれません。


大瀧純子



 


2020-11-13

書いたものは捨てない

 「読むと書く入門編」という音声講座を以前に収録しました。すでに多くの方にお聞きいただき、大変ありがたいです。そのシリーズものとして、今回は「実践編 書くこと」という内容で若松さんにお話し頂きました。編集が完了次第、配信致しますので、是非皆さまにもお聞き頂ければと存じます。
 そのなかでは、若松さんが書くときに気をつけていることや心構えなどの他に、講座ご参加者や作品展(木蓮賞)などにご応募頂いた作品など、多くの一般の方たちの文章を読んできた経験からの具体的なアドバイスをお話しされています。
 読むと書く講座のスタートから6年間あまり、若松さんはゆうに一万作を超える作品をひとつひとつ丁寧に読み、アドバイスを書き入れてきました。それほど多くの一般の方の文章を読んできたひとは他にいるだろうか、と思います。
 「実践編 書くこと」には長年の積み重ねのなかで彼が感じ、書き添えてきた、生きたアドバイスがいくつも盛り込まれています。

 収録の最後に、自分が書いた文章は捨てないこと、というお話しがありました。私などは街で素敵なノートを見つけると、今日から書き始めるぞと意気込んで購入したりするのですが、初日からあまりにもお粗末な文章しか書けず、それきりどこか物置の奥にでもしまいこみ、行方不明になってしまったものがいくつもあります。
 今この文章を書く経過でも、あれやこれやと書いては自らボツにしてゴミ箱に捨てたりしています。若松さんは、「そうしたものでも、いつか見たとき、あの頃こんなことを考えていたんだなと、懐かしく振り返れたり、全然ダメだと思えた文章にも、ここだけは、とキラリと光るものを見つけたりできるようになるから、取っておいて」と言います。その時にしか書けない文章があるからと。
 なるほどと、私が思ったのはそのあとで、「20年後にまだそう思えなければ、さらに10年寝かしてみて、そうしたら、その時の自分を認められるようになるかも知れないから」という言葉を聞いたときです。
 ああ、そんな日が来るのなら、ヘタでも、中途半端な殴り書きでも、捨てるのはもったいないかもしれない。誰に見せるわけでもなく、未来の自分がこっそり見返して、どう思うか、それは楽しみになるのかな、と思ったのです。

 むかしむかし書いた文章で、今手元にあったらなあ、と思うのは中学生のときに初めて書いたラブレター。なんと、詩も書き入れました。それも勇気がなくて本人には出せず、かわりに親友にみせたら、「すごいよ、感動した」と言われて、なんとそのまま国語の先生の手に渡ってしまったのでした。
 その後どこにいったのかは記憶がないのですが、今読み返したら、どんなにヘタでも、甘酸っぱい優しい気持ちで読めるのではないかと思ったりします。
 逆に捨てたいのは、10数年前に夫に書いた怒りの手紙。中身はほとんど覚えていませんが、なにか不満が募って、夫婦は所詮他人なのだから、一緒に生活していくなら互いに思いやりを示しあわないと暮らして行けない、このままなら別れることになりますよ、と若干脅しているような内容だった気がします(笑)。
 その手紙はまだ夫の仕事机の引き出しにあるのを一年ほど前にたまたま見つけました。 勝手に捨てることも出来ないでいますが、それを読み返すにはまだあと20年くらいは必要そうです。

 皆さんも、出せなかった手紙や、書き終わらなかった文章、駄目だと思う詩やエッセイも捨てないで、いつかくる優しい自分が読んでくれる日まで取っておかれてはいかがでしょうか?


大瀧純子



 


2020-10-30

信じること・・・若松さんとの出会い

 もうだいぶ前になりますが『女、今日も仕事する』(ミシマ社)という本をださせて頂きました。そのなかにも一部書かせて頂いたと思いますが、若松さんとは20年近く前にはじめて会いました。ナチュラルハウスというオーガニック関連商品を扱う会社の商談室で、若松さんは商品を売り込みに来たいわゆる「業者さん」、私は新米バイヤーでした。まだ二人とも30代前半で、息子は小学2年生でした。

 実際に顔を合わせたのはそれが初めてだったのですが、それ以前に、互いの会社が開発した商品(ハーブサプリメントのシリーズ商品)は知っていました。若松さんの方が先に販売していましたが、私はその半年ほどあとに商品を完成させ、アロマセラピーサロンや小売店などに卸し始めていました。その商品を見つけて、誰が開発したのだろう?とずっと興味をもっていたと若松さんはその時話してくれました。その少し前に当時の薬事法が改正され、メイドインジャパンのハーブサプリメントが製造・販売できるようになってすぐのことです。

  当時の若松さんは、とにかく早口で弁が立ち、エネルギッシュ。押しも強めで営業マンらしい印象でした。今も変わらないのは知識が豊富で行動力があるところ。まずは良い印象を持ちましたが、あるとき、仕事の打ち合わせを喫茶店で、という約束をしたさい、2時間も連絡なしに待たされたのは今も忘れられません(笑)。その後、一緒に仕事をすることになるのですが、ほんとうにいろんなことがありました。良いことばかりではありません。会社は何度も危機を迎えましたし、もうこの人とはやっていけないと不信感に陥ることもありました。若松さんも、そして私も、人間としても仕事人としても「未熟だった」のだと思います。

  けれどもここまで一緒にやってこられたのは、互いの可能性を信じられたからではないか、と思っています。まだ本も出されていませんし、仕事も会社も綱渡りで危なっかしかった若松さんでしたが、私にはないものを彼は持っていたし、逆もそうだったと思います。結果的に、会社の代表は私にかわり、同時期から若松さんは(今では多くの)著書を出すようになり、世に認められはじめ、「読むと書く」などの講師、そして大学の教授にもなりました。

  若松さんが言ってくれた今も覚えている言葉があります。「僕は会社をうまくやっていく能力は足りなかったけれど、大瀧さんを見つけてきたことが僕の最大の功績だよ」と。 私から言葉を贈るとしたら、「言葉そしてコトバの力を教えてくれてありがとう。今、この読むと書くの現場にともにいられることが本当に幸せで、誇り高いです。これからもよろしく」と言うかしら。面と向かっては照れくさくて言えないかも知れませんけれど。 そして、信じることで互いの能力を開花させることができる、その経験の重みと素晴らしさを今あらためて実感しています。


大瀧純子



 


2020-10-16

本との想い出

 これだけ「読むと書く」や「思考と表現」「若松ゼミ」などといった名著をベースにした講座を開催している会社の代表であるにもかかわらず、恥ずかしながら、私自身は日常的にはほとんど本を読みません。立場上、こんなではいけないのかも知れませんが、本に助けられた経験は何度もあります。もしその本と出会わなければ、どんな風に生きてきたのか、考えることさえ出来ないほど、忘れえない大切な「出来事」でした。

 本を読む習慣は家庭環境も大きいと思います。両親とも、家で読書をしている姿を見たことはほとんどありません。父に関しては一度もなかったと思います。中学しかでておらず、若い頃から必死に働き、なんとか自分の店を持って商売に没頭していた父には本を読む時間など勿体ないと思っていたかも知れません。母も仕事をしていたので、一人で家にいることが多かった私は自然とテレビっ子になっていました。

 そんな家庭に育った私でしたが、4,5歳の幼い頃、親戚のお姉さんが家に遊びに来た際に1冊の本をプレゼントしてくれました。全編カラーの写真と英文で構成された「シンデレラ」。フェルトやレースで作られたお人形や舞踏会のドレス、きらきらと輝くシャンデリアや全面に装飾が施されたかぼちゃの馬車が舞台上の劇のように配置され、それらを撮影したものが各ページに絵の代わりにのせられていました。もちろん英語など読めませんでしたが、美しい、何か素敵な物語がそこにあることは分かりました。なぜその本を選んでくれたのかは今でも分かりません。50年近く前のことですから、海外からわざわざ取り寄せてくれたのかも知れません。

 当時は、いくつかの不幸が重なり、家の中は暗い雰囲気でした。母は夜になると枕に顔をうずめて、となりで寝ている私に気づかれぬよう、声をおしころして泣いていました。時には何時間も。子供は親が隠そうと思っていること、見られていないと思っていることを実は良く知っていたりするものです。そんな時、なぜか子供は自分が悪いと思いがちなのだそうです。大人になってから知りましたが、私もそうでした。そんな時期に、「シンデレラ」は暗闇のなかに差し込んだ、まばゆい太陽光のようにも思えたのです。ましてや私へのご褒美のようにも見えました。そんな本を貰えた自分がなにか特別で幸せな子供にも思えたのです。

 シンデレラのお話を日本語で読んだのはその数年あとでしたが、不安な心を抱えた小さな女の子だった私に勇気と希望を与えてくれたのは、その「本」自体だったのです。人に本を選んであげるのは簡単なことではありませんが、小さな子供たちや若い学生さんにであれば、ぜひ、良い本をプレゼントしてあげて欲しいと思います。その内容が分かっても分からなくても、そんなことは二の次で、たとえ本棚に並べられたままだったとしても、彼らの人生、「存在」に何かを残すのではないでしょうか?私のように救われることもあるかも知れません。本はおもちゃとは違います。かならず何かのストーリーを届けてくれる、そんな気がしています。


大瀧純子



 


2020-10-02

『死、それは成長の最終段階――続 死ぬ瞬間』を読みながら

 先日、タイトルに書いた本の音声講座を制作しました。キューブラー=ロスの名著ですが、「読むと書く」の講座でも以前に取り上げた『死ぬ瞬間――死とその過程について』の方がよく知られているかと思います。彼女が提唱した「死の受容のプロセス」はグリーフケアや臨床心理などでも取り上げられています。その内容についてここではふれませんが、若松さんが作られた『死、それは成長の最終段階 続 死ぬ瞬間』のレジュメを音読しながらこころに浮かんだことを書き留めておこうと思います。

 キューブラー=ロスはタフで行動力のある、地に足のついた開拓者のような女性ですが、三つ子の一人として、生まれたときには900グラムしかなく、誕生の時点ですでに死の危機を経験していました。また、彼女が物心ついてから初めて死というものを経験したのは父の友人が木から落ちて、瀕死の状態から亡くなるまでの過程をその男性とともに過ごしたことでした。彼は死を恐れない人で、まだ幼い彼女を死の床に呼び寄せ、別れの挨拶や、自分の愛する農場や家族への手助けを依頼したりしたのでした。普通の人の、立派で、穏やかで、確かな死がそこにはありました。

 この文章を読みつつ、私は自分の最初の「死の経験」を思い出していました。それは4、5歳の頃、幼稚園から帰って家で一人おままごとか人形遊びなどをしていた私の近くで電話の音が鋭く、何かを追い立てるように鳴り響きました。母が受話器を取り、すぐに母の声が震え出しました。幼い私も何か良くないこと、恐ろしいことが起こっているのを感じました。その電話は、まだ年若い親族の突然の死を伝えるものでした。

 その半年ほど前に、母と私は彼女の病院を訪れていました。とても優しい穏やかな様子でしたが目がうつろで、一度も視線があわなかったのを覚えています。心を病んでいたのでした。

 その日から、毎晩同じ夢にうなされるようになりました。真っ黒な雲に覆われた空が燃えだして、火の粉が降ってくるなかを必死に逃げまどう夢です。時にはその黒い雲に押しつぶされそうになることもありました。徐々にその夢をみることはなくなりましたが、私のなかの「死」のイメージは暗く恐ろしく、圧倒的で、それでいて現実的でない、どんよりとしたものでした。今思えば、それから先、子供を産むまでのあいだ、私自身の「生」も足もとがふわふわと不安定な、どこか実感の持てないものになっていました。

 死の経験は実は生きること、生をどう捉えるのかにもつながっているように思います。一見、悲しみや残酷さだけがあるように感じる死の現場を経験することが、実は生というものをより確かにしてくれるのではないか、キューブラー=ロスの文章を読みながら感じていました。

大瀧純子



 


2020-09-25

ミッチェル・メイが与えてくれたもの

 あるマンションの小さな一室で、「読むと書く」の講座をほそぼそと始めた6年前、私たちの本業は米国のシナジーカンパニーが製造しているオーガニック・ハーブサプリメントを輸入し、販売することでした。
 52種類のハーブをブレンドした「ピュアシナジー」という製品が一番人気で、それなしに今の私たちは存在しないといっても過言ではないほど、多くの方に支持され、ご愛用頂いてきました。

 そのことと「読むと書く」の講座や若松さんの活躍はまた別のもののように感じてきたのですが、先日、そうではないことに気がつきました。なぜ、今までそこに思い至らなかったのか不思議なくらいです。

 「ピュアシナジー」の生みの親はミッチェル・メイ。60代のユダヤ系アメリカ人です。特別な才能を与えられ、ヒーラーとしての活躍ののち、今から30年ほど前に会社を創業しました。
 彼と若松さんとの出会いは今から20年以上前になります。その不思議な出会いのお話しはまた別の機会に、と思いますが、先日、久しぶりに彼と電話で話しをしました。

 若松さん、ダニエル(現CEO)も参加して、フランクな雰囲気のなか、互いの近況報告をするなかで、「読むと書く」の事業の話になりました。内容について詳しく話したのははじめてです。
 たどたどしい説明で、理解して貰えただろうかと不安を感じるなかで、自分でも思ってもみなかった言葉が口をついて出ました。

「私たちが今やっていることは自分たちの手でピュアシナジーを作って、人々に届けることなんです」
「植物のかわりにコトバを集めて・・・。こころやたましいを深いところから支えられるコトバを」と。
本当にそうだ、やっとそれに気がついた、という驚きと同時に、安堵の気持ちになっていました。

 しばしの沈黙が流れ、何かを深く考えているときの、瞑想中のような、静かなミッチェルの顔が画面に映っています。彼らしい、強さと威厳のある表情でもあります。
  数秒のことが永遠にも感じられるほど、濃密な時間でした。やがて彼はやわらかな笑顔を見せて、ゆっくりと口を開きました。
「あなたたちを心から誇りに思うよ。ほんとうにありがとう」。
気づけば涙が頬をつたい、エイスケも涙をこらえていました。

 続きは次回に・・・

※18年間にわたりシナジーカンパニー製品を販売させて頂きました。2019年、日本での輸入・販売は終了しています。


大瀧純子



 

2020-09-11

鍵語

 若松さんの現在の人生の鍵語は「愛」だと言います。鍵語というのは、人生のテーマというのとは少し違うもので、自分自身や自分から見える世界をより深く探求し、思考するための扉となる言葉(あるいは扉の鍵)、だと私は理解しています。一生同じ言葉というわけではなく、10年、あるいは数年から数十年の単位で、変わっていくもののようです。
 人生のテーマというと、自分らしい人生をおくるとか、何かを成し遂げるとか、後悔しない人生をおくるとか、少し漠然とするように思いますね。もちろん鍵語と重なる場合もあるかとは思います。

 「愛」という言葉については若松さんの著書や講座や声のメルマガなどでも折にふれお話しされているので、ここでの説明は省きますが、鍵語を見つける一番身近で簡単な方法は書くことだそうです。読むことや考えることでもそれに気づくことはありますが、書くこと、特に詩などは言葉が凝縮されているので、ハッとすることがあるかも知れません。

 さて、私自身の鍵語はなんだろうと考えたとき、数年前までのものがまず頭に浮かびました。それは「責任」です。そしてそれと表裏一体であったと思われる「自由」です。後者についてはあとから気づきました。これらの言葉に出会ったのは(もちろん小学生でも知っている言葉ですが、出会い直したと言ってもいいかもしれません)ヴィクトール・フランクルの『夜と霧』そして『それでも人生にイエスと言う』の文中でした。社会的な存在としての責任・自由という意味ではなく、人間は人生に問われている責任存在で、かつその人生への応答は例えどんな状況にあっても選ぶことが出来る、自由があるのだ、という言葉に救われました。

 30代の半ばから50歳前後までの15年ほど、それらの言葉とともに生きてきたわけですが、時には言葉に縛られ、心身共に追い込まれたように感じたこともありました。けれども今振り返れば、それらの言葉と深く交わり、まみれ、ときに疑い、迷い、苦悩しつつ歩んできた道程は人生への手応えをより強く、確かなものにしてくれたようです。

 今では、これらの言葉からはすでに卒業したような気がしています。別の言い方をすれば、15年もの歳月が掛かったのですね。

 皆さんの鍵語はなんですか?

大瀧純子 





2020-09-04

はじめまして

 今日からこちらのコーナーを担当させて頂く大瀧純子です。どうぞよろしくお願いいたします。

 声のメルマガ~言葉の贈り物~の対話役や音声講座の読み手&生徒役として、対面よりも先に声でお目(お耳?)にかかっているかも知れません。皆さまにとっては先生にあたる若松さんに対して、かなりフランクといいますか、距離が近い感じで話しているので、不思議に思われた方もいらっしゃるかも知れません。

 若松さんとの出会いは20年近く前になります。長きにわたり仕事上のパートナーとして、また友人としても若松さんの人生のすぐ近くで、またともに過ごして参りました。そのような事情から、友人としてのコメントをさせて頂きますと、この間の若松さんの魂の成長はすさまじいものがあったと思います。魂という言葉に違和感があれば真の人間性といってもいいかもしれません。

 その要因のひとつは「読むと書く」講座にあると思うのです。参加いただく皆さまが名著や若松さんの超解説とも呼べるようなコメントを享受するのと同時に、外面的には与える側である講師としての彼も皆さまと一緒に広大な言葉の海に潜っていく。他の方たちよりも少し息長く潜れる彼は、どんどん奥深くに沈んでいき、発せられる言葉(コトバ)は深海の底にある泉から湧いてきます。

 そんな若松さんのことや講座のこと、収録時の裏話や、本のこと、言葉についても、気ままに書き連ねて行きたいと思っています。ヘタな文章ではありますが、暖かなまなざしでお読み頂ければ幸いです。

大瀧純子